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海の十二支 海牛 ジュゴン特設サイト


2021年7月1日よりかねてより告知しておりました村瀬材木原型・監修による完成品スタチュー製品、「海の十二支」がいよいよ発売となりました。
毎年干支にちなんで発表する村瀬材木オリジナル作品の海の十二支シリーズ第1弾は

「海牛:ジュゴン」です。

発売に至るまでは多くの困難がありました。

本当に村瀬作品をレプリカできるのか、あの特徴である「村瀬塗り」を完全再現できるのか。
試行錯誤と長い開発期間を経てようやくお披露目する事ができました。
何はともあれ大きな写真でたっぷりご覧下さい。

また模型誌や文芸誌などで活躍をされてるフリーライター竹縄昌氏による独占ロングインタビューも掲載しています。(ここだけの公開です)ぜひそちらもお楽しみください。


 

作者紹介

 

 

村瀬材木 (Zaimoku Murase)

 

 

1989年三重県出身

大阪芸術大学 映像学科卒業後アニメ制作会社にて勤務

2014年 オリジナルの造形作品を精力的に制作

大阪、東京などで個展、グループ展で作品を発表、好評を博す

2019年 中国上海ワンダーフィスティバルに参加、作品を販売。話題に

2020年 独立しフリーの造形作家となる

2021年 フリー後初の作品となる「海の十二支 海牛ジュゴン」発表

 


海の十二支 海牛ジュゴン

世界限定88体 2021年のみの限定生産となります。原型を忠実に再現し作家監修のもと製作されたスタチューレプリカとなります
セミオーダーメイド方式のためご注文からお届けまで数週間〜数ヶ月要する場合がありますので予めご了承ください
村瀬材木直筆のサイン・落款・シリアルナンバー入り
製品は国産桐箱、金箔押しスリーブ、手漉き和紙、水引きなど日本の伝統工芸を取り入れた豪華仕様
台座は高級木製台座が付属いたします。またはオプションで海をイメージしたブルー透明レジンと木製のハイブリット台座をご用意しています
「100年後に残る造形作品に」
後世に価値が高まるアート作品になると確信します。是非ご注文お待ちしています


※お届けはご予約順です。ご注文頂きましたら弊社よりおおよその納期をメールにてご案内させていただきます

※作品はハンドメイドのため個体差がございます。全工程で作家自身による監修が入りますのでクオリティには遜色ありませんのでご安心ください

※美術品のため返品返金は不可とさせていただきますのでご注意ください。輸送中の事故・破損につきましては運送会社の保証規定に準じます

※商品には販売証明と保証書が付属します。シリアルナンバーと紐付けいたし顧客管理・アフターサービスに利用させて頂きます事予めご了承ください

※販売に際し知り得た個人情報は個人情報保護法のもと厳重に管理し、顧客管理・アフターサービスの目的以外に使用いたしません

※お客様ご自身に起因する破損・盗難・経年劣化などは製品保証外となりますのでご了承ください

 

全高 約300mm

重量 約1.6kg(台座含まず)

素材 ウレタン樹脂(本体)、ステンレス(支柱)、木(台座)

 

 

原型・塗装監修 村瀬材木

彩色・生産ディレクション 石田基由 (SUPERNOVA DiGiTAL DESiGN)

レジンキャスト 有限会社RCベルグ

水引デザイン 小松慶子

水引製作 長野県立松本養護学校の生徒のみなさん

和紙制作 平田真澄

ロゴデザイン・スリーブ制作 大和印刷

台座製作 STUDIOメザシ
撮影  スタジオ ていく

Special Thanks (敬称略)

長谷川勝人(株式会社ハセガワ)

松本州平

加藤単駆郎

竹縄昌

澁谷竜太郎 (有限会社RCベルグ)

 

 

プロデュース・アートディレクション Kenji KOMATSU (SUPERNOVA DiGiTAL DESiGN)

企画・製造・販売 株式会社プレスト ホビー事業部

 

 

¥178,000

  • 1.6 kg
  • 在庫あり
  • お届け日数:未定

各界からコメントをいただいております。順不同でご紹介させて頂きます。

「隆々とした量感、みっちり感満載の細部、

それらを結ぶ素晴らしいバランス感覚、村瀬材木さんの作品は、ミキシングビルドの領域を軽々と跳び越えたアートである。同じく造形を志した私自身から見ても、村瀬材木さんの作品から妬ましい程の才気を感じるのである。」

 

 

株式会社ハセガワ代表取締役社長 長谷川 勝人 様

 

 

「もうずいぶん昔の事、最初に村瀬さんの作品を拝見させていただいた時「あ、フォルムが湧き出て来る人だな。有機的な形と複雑怪奇なメカと美しく整ったパイピング、それを包み込む魚類を彷彿とさせるフォルム。今にも動き出しそうなカオスに持って行かれそうな自分が居る」とても小気味よい目眩を感じました。悔しいが『ある意味、天才であります』もっと言いたい事有るけど、今後の活躍の時々の為にとっておきますか?」

 

絵本作家・模型作家 松本 州平 様

「《アートとホビー》 《メインカルチャーとサブカルチャー》、この一見相反する2つの言葉の境界を、村瀬さんの作品は軽々跨いで1つにする。《美しくて可愛い》この『ジュゴン』もまた然り。

 年一体製作の十二支シリーズの1つであるという本作品を見ると、残りの十一支を村瀬さんがどうアレンジするのかワクワクと想像せずには居られない。合計12年も楽しませてくれるとは、なんて凄いコンセプトだろう。

小学生の頃次の干支をどんな絵にしようかワクワク想像しながら友達に年賀状を描いていた、あの気持ちが重なった。」

 

イラストレーター 加藤 単駆郎 様


パッケージ仕様

 

今回お届けするジュゴンのパッケージは

随所に日本の伝統工芸を取り入れたものとなっております。
ジュゴン含め全て国産にこだわり、職人さんや生産者さんの想いも届けたいと言う気持ちで制作をいたしました。
ぜひ「100年後の後世に残る作品」として長く愛蔵していただければ幸いです。
仕様

箱 国産桐(きり) のせ蓋式箱
スリーブ・水引   極厚紙金箔押し、飯田水引
のし・作品梱包 内山和紙(梱包は海藻入り特別和紙)

水引デザイン 小松慶子

Design of "Mizuhiki", Keiko KOMATSU

水引デザイナー
長野県飯田市生まれ。小5の夏休みに自由研究で「飯田水引」と出会う。

大学卒業後、一般企業に勤務中の2015年に「紙単衣 - kamihitoe -」をスタート。

自身でECサイトを運営する傍ら各地で水引ワークショップを開催。オリジナル商品の取り扱い店は全国に広がっている。

マーケットを意識した企画協力から、デザイン、パッケージ制作、大量生産まで一貫して引き請け、寺院の授与品や企業のPB商品、

ラッピング資材、商業施設の大型ディスプレイアート制作まで幅広く手がける。

2020年6月よりBALL.WEB MAGAZINEに「多摩結び」を連載中。東京多摩エリアの市町村章を水引で表現している。

第2回 飯田水引コンテスト「飯田水引協同組合賞」受賞。

 
https://kamihitoe.theshop.jp

 

和紙制作 平田真澄

Design & make of "Japanese traditional paper", Masumi HIRATA

和紙職人

京都府生まれ。

京都造形芸術大学芸術学部卒。

在学中、文化財の保存・修復を学び古代和紙の研究を行い、論文「『延喜式』に見られる苦参紙に関する研究」(百万塔114  2003年)を発表。

卒業後、アパレル企業での勤務を経て2009年に和紙職人への夢を叶えるため長野県飯山市へ移住し、地元の製紙会社での修行後、2011年独立。

手漉き和紙の製紙から商品開発や造形作品まで幅広く制作活動を行っている。

また、単に和紙を作るのではなく「100年前の内山紙を100年後にも」という想いから、伝統的な製紙技法の継承や原料栽培にも取り組んでいる。

 

 http://www.uchiyama-gami.jp

 

台座制作 Studio メザシ

Exhibition base production,   STUDIO Mezashi

熊本県阿蘇郡南阿蘇村で開業

素材にこだわり自ら伐採し加工まで行う山栗や桃、山桜。

必要であれば、高級家具で利用されるウォルナットやオークを積極的に使用。
オリジナル性を重要視した新しい台座を提案し、作品を引き立てるため顧客の希望を詰め込んだ唯一無二の製品を

提供し続けている。

 

代表 日高美子様、制作担当 日高豊からのコメントを頂きました。


「海牛・ジュゴンの台座に起用していただいたSTUDIOメザシ with 豊丸びるとです。

村瀬さんの作品は、人が人である理由を感じさせる創造力と破綻のない見事な造形、それでいて今まで見たことがない唯一無二の作品であることは間違いありません。
こんなに素晴らしい作品の台座作成に起用していただいた事とても光栄に感じ、精一杯、作成させていただきました。」

 

https://studiomezashi.com

 


作家インタビュー

文・聞き手 フリーライター 竹縄昌

 人と人との出会いが、お互い、あるいはどちらかの人生の分岐点になることは、誰でもが持つエピソードだろう。ここにご紹介するエピソードもそのひとつだが、際立つのは、小松社長との出会いが、ひとりのクリエーターの大きな飛躍を促したということ。これはその小さくも大きい出会いの物語。

 

なぜ魚類なのか

 

村瀬材木さんは1989年三重県員弁(いなべ)郡北勢町(現・三重県いなべ市)に生まれた。平成15年の員弁町、北勢町など4町合併で、いなべ市となり、抱える人口は約4万5千人(平成27年)。 

三重県といえば、伊勢志摩、尾鷲市など、風光明媚な海に面した街を思い浮かべるが、しかし、いなべ市は三重県でも北部で滋賀県、岐阜県に近い内陸になる。三方を山に囲まれ、海まではマップ検索によれば25キロほど。市内を流れる員弁川はそのまま伊勢湾に注ぐ。

そこに育った村瀬さんの「村瀬材木」はもちろんペンネーム。その由来は「祖父が山を持っていて、村瀬材木という屋号で、山から切り出した材木を商っていました。いまはもう店はないので、それを受け継いで、ということでもないですが、使わせてもらいました」

父祖の生業の通り、山の民である。それがどうして、魚類を主なモチーフとして作品制作を続けているのか。

「実は両親が水族館が好きで、子供のころから連れられて行ってましたし、それに母親の実家が長崎県の島嶼部なので、母と帰省すると魚釣りをしたり、魚とは親しんでいたんです」

休日や学校の長い休みともなると、家族で地元・三重県の志摩マリンランド、鳥羽水族館、遠くは大阪の海遊館、海水魚だけでなく、滋賀県の淡水魚の水族館も訪ねた。

「福井県の小さな水族館も好きですね。沖縄の美ら海水族館にはまだ行ったことがないので、これから先に訪ねてみたいです」

大阪の海遊館では、同館で売られていたチョコエッグなどの動物フィギュアで海洋堂の名前を知ったが、もちろんのちに海洋堂主催のワンフェスに参加することを、当時は知る由もない。

長じて上京し、仕事に疲れた時は、葛西臨海水族園(東京・江戸川区)に出かけ、心を癒していたという。

そしていま、村瀬さんは、信州・上田市に暮らす。上田市はNHKの大河ドラマなどでも度々登場する真田氏発祥の郷であり、古い歴史を有する。人口120.790人(令和3年3月1日)。

2020年暮れに千曲川が市の中央を流れる古都に移住してから、30余年遡ってみる。

 

模型との関わり

 

生まれた時にはすでにガンダム、スターウォーズ(SW)のキャラクターが当たり前に存在する時代だった。その影響を受けないわけはなく、「中学2年ぐらいの頃だったかな、SWとガンダムにはまった感じです。ガンプラは周りに好きな子がいっぱいいたんで、近所にある駄菓子屋兼おもちゃ屋が結構プラモデルを置いていて、そこには友達や同年代の子たちが買いに行っていたので通ってました。そのころからキャラクターモデルばかり作っていました」

ガンダム、スターウォーズなどのキャラクターモデルのプラモ製作は中学、高校を過ぎて大学まで続く。

「中学以降は周りの友達にもガッツリ作っている子はいませんでしたね。僕だけ好きで作り続けていました」

そして、将来の希望として「スターウォーズが大好きで、映像美術みたいな職業に就きたかったんです。それに関係する大学を探していく中で、大阪芸大に映像学科があったので、受験しました」

映像から発信されたのキャラクタープラモを作り続けていれば、こうなるのはある意味、必定かもしれない。

めでたく現役合格。学科の勉強以外のキャンパスライフはサークルに入ったことから始まった。

「映像関係の学科だったので、周りにはアニメが好きだった子もいて、プラモも作っていましたね。サークルはSF研究会があって、入会しました。SFの研究はしてなくて、映像を作っているサークルという感じでした。真偽はわかりませんが、昔、庵野秀明さんがいたという話もありました」 

庵野秀明さんはいうまでもない、あの庵野さん。ウィキペディアによれば、庵野さんは大阪芸大映像計画学科(現・映像学科)を中退しているが、サークルはSF研究会とある。

ということで、村瀬さんは「庵野秀明」という偉大な伝説の(?)先輩を持っているのだった。

 

キャンパスライフ

 

学科では、「特撮とかSF映画が好きな人も少なからず集まっていました」

SF研でCG制作などの活動もしながら、プラモ製作にも勤しんだが、しかし、ここで変化が現れた。

「ただプラモデルを組み立てるだけでは、個人的に楽しめなくなって来て、そこで考えたのが、ガンプラを買ってきて、それをベースに人型メカに組み換えることを始めたんです」

2回生か3回生(関西地方の大学は年次をそう呼ぶ)のときからだという。

そうした作品はもっぱらSNSにアップした。

「サークルの人たちにはあまり見せたりはしませんでした」

SNSでは、フィギュアなどの立体物をアップできる交流サイトの「fg」(現在のfgは別物のようだ)にアップした。

アップすると、

「予想以上に評判が良かったんです。ランキング入りしたりして、どういうものをアップしたら、どのような反応が得られるか、という感覚が楽しかったんです」 

見る側を楽しませるプロ的な製作になっていたのだろうか。

「そうですね。週間ランキングや、細かいジャンル分けがあったのですが、1位になったこともありました。サイトにいる人たちとのコメントでの交流もありました」

大学生活は瞬く間に過ぎ、最終学年となり、そして就活時期を迎えた。

4回生の12月まで就職が決まっていなかったんです。もうダメだと諦めて卒業後にどうしようか決めよう、というぐらいに考えていたので、卒業制作で10分ぐらいのCG作品に取り組んでいました。まず卒業しなければならないから」

しかし、ここに転機が訪れる。

卒業制作を観てくれた大学の講師(浅尾芳宣さん)からの一言だった。

「僕が立ち上げに関わったCGの会社にきませんか」

慌ただしく就職が決まった。

 

就職

 

 そして、初めての東京暮らし。CGデザイナーとして忙しく働いた。アニメもあれば、PVも手がけた

「就職した始めの頃は、さすがに模型製作はできませんでしたが、2、3年経った頃は仕事も慣れて、模型製作のための時間も作れるようになりました」

 仕事にも慣れた一方、自分の将来について、こんな希望を抱いていた。

「いつか自分の作品で生きて行けるようになりたいという気持ちがあったんです。会社でやっている仕事は、自分のやりたいこととは直接的にはつながってはいませんでした」

 会社員生活を続ける一方、作品発表の機会を探っていた。

その機会のひとつが訪れたのは、2015年ごろ。

 プラモデルメーカーのハセガワ(本社・静岡県焼津市)が行なっているジャンクプラントコンテストに応募する。

 ジャンクプラントとは、プラモデルのジャンクパーツを利用して、クリエイティブな作品を作るというコンテスト。

 村瀬さんは2015年に同コンテストの特別企画「しんかいX部門1」で社長賞を受賞。オリジナルの造形作品が初めて栄冠を得た。

 同社のHPに長谷川勝人社長のコメントが載っている。

「非凡な造形力とセンスを感じました。スーツもかっこよく、スケール感アップに寄与しています。この作品が大好きです」

(ハセガワHPから引用)と大絶賛である。http://www.hasegawamodel.co.jp/jp/work/11shmur/

 「ハセガワの社長さんが選んでくれた、というのでびっくりしました。賞品が送られてきたのみでしたので、まだお会いしたことはないのですが」

いずれ機会が来ることだろう。

その長谷川勝人社長は1941年創業のハセガワの3代目社長。東京芸大芸術学部から同大大学院に進学、講師まで務める傍、立体造形などに取り組んできたアーティストでもある。また、他の大学講師などを務めていたので、若い人たちの才能を見抜く目には長けている。

以前、ハセガワの本社で社長にお会いした時、見せてくれたのは、作りかけの「ファルケ」。そう、あのマシーネンクリーガーシリーズの1作。同社製品にウェザリングを施したりの気合の入れようで、愛おしそうにしていたが、そうしたオリジナルデザインを評価する感性の持ち主だ。

村瀬作品とマシーネンクリーガーと無縁ではないが、それは後述する。

そして、さらに村瀬作品の実物がようやくフィギュアファンの目に触れる機会が訪れる。

2016年冬のワンフェス(幕張メッセ)だった。

fgからネット上で交流のあった方にブースを半分貸すから展示して観たらどうですか、というお誘いをいただいたんです。そこで初めて、いま作っているようなオリジナルメカを展示しました。そのときは展示だけでしたが、初めてのワンフェスで、人の多さがすごかったです」

ワンフェスがきっかけとなって、自分で作品を作っていきたいという思いが募っていった。

さらに展開が待っていた。

「イベントで知り合った方が大阪のギャラリーに勤めていて、そこで開かれる企画展に参加しませんか、というお誘いを受けたんです」

展示作品は評判を取り、それがのちの個展に繋がって行く。

そして次に出会ったのが、「プレスト」の小松憲史社長やあの絵本作家にして超絶モデラーの松本州平さん。

しかも誰の紹介でもなく、全くの偶然。これぞ運命のなせる技と言わなくて何をいうのだろう。

 

出会い

 

2017年5月、村瀬さんは神奈川県の江ノ島で開かれた「江ノ島模型展示会」(通称「江ノ展」に作品展示をしていた。

江ノ展は造形作品の展示会。この年、2回目の開催だった。

小松社長はこう回想する。

「江ノ展に行くために、州平先生たちと合流しました。とりあえず江ノ島のヨットハーバーでビールを飲んだりしてね()。それから、江ノ展に行ったら、会場の一番奥にあった作品の前で州平先生がずっと固まって動かないんです。どうしたんだろうと思って、先生のそばに行ったら、先生が『なんですか、これ』って。僕も固まって、すごいですね、ってそれが村瀬さんの作品だったんです」

村瀬さんの作品の前で固まっていた松本さんは飛行機を中心として、模型誌に作品を発表。ディティールのさらなる細密さは他の追随を許さない。また、美術家でもあり、先の長谷川社長同様、作品の見巧者である。

 そのそばに立っていたのが、村瀬さん本人だった。

「彼が作者だってことに二人で驚いておじさん二人で村瀬さんを質問攻めにしていました()

昼ビールの酔いも覚めたに違いない小松社長は続ける。

「僕は作品が醸し出すドロドロとしたものが、ものすごく魅力的に思えたんです。それで、僕は作品を作った本人に興味が行ってしまう方なので、作者がどういう思いで、こういうものを作っているんだろうとか、考えるわけです。それで村瀬さんは屈折した人生を送って来たんじゃないか、とそう思って、僕が上京した時に、酒でも飲みましょうということになったんです。酒に誘うのはいつものノリなんですけど()

 突然の出会いに村瀬さん本人は

小松さん、松本さん、単駆郎さんはその際に初めてお会いしました。Twitter上で知っていたのは州平さんで、江ノ展でお会いすると思ってなかったので驚きましたね。
皆さんとても気さくでこちらのたどたどしい作品説明をよく聞いてくださって長い時間食いつくように作品を見てくださったのはとても印象的で覚えています」

「単駆郎さん」とは、イラストレーターの加藤単駆郎(通称・単駆郎)さんのこと。単駆郎さんは、模型業界では、ハセガワの箱絵の専属ライターとして、同社の艦船スケールモデルを中心にキャラクターもの、建機・農機、サイエンスシリーズの箱絵などを描いている。イラストレーターの和田隆良さんとともにハセガワの箱絵の双璧だ。

小松社長には村瀬さんから大阪で開かれる個展の案内が送られたりして来たが、村瀬さんが小松さんと再会したのは東京・三鷹のバーボン居酒屋(?)だった。単駆郎さんも同席した。

「単駆郎さんもアニメ業界出身から独立した方なので、誘ってみたんです」と小松社長。

小松社長は、自ら単駆郎さんの画集『BOX ARTISTRY』を企画したり、主催者となった「信州うえだ模型交流会」では、全紙大の単駆郎作品を展示、トークショーまで催すなど、その他でも単駆郎さんをサポートしている。

 村瀬さんは

「江ノ展では挨拶程度だったのですが、その後、アニメ業界にいたことを知って、業界の話だったり、独立に関してなど、たくさん話してくださって、刺激になりました」

という。その日はアニメ業界あるある話で、盛り上がったという。

小松社長は村瀬さんの話を聞きながら、こう伝えた。

「彼が会社の仕事よりも造形作家で行きたいというのなら、やるべきだと思いました。僕の仕事とコラボするとかは別にしても、造形作家としてやるべきだ。これから有名になれるし、絶対に信じてやりなって、背中を押しました。もちろん無責任に言ったんじゃありません。若いし、失敗したとしても全然やり返せるから、やって欲しいなと思いました。もちろん、40、50歳のおじさんだったら言わないですよ」

小松社長の熱い言葉に、村瀬さんは

「最初は想像もつかないし、実感もありませんでしたから、できないんじゃないかと思ってました。ただ、作品の制作を続けていくうちにできるんじゃないかな、と思うようになりました」

 自社内にホビー事業部を立ち上げた小松社長は、村瀬さんとのコラボも考えはじめていたが、村瀬さんは

「小松さんには、まだ答えを出さない感じで、やんわり接していたのですが、その後、企画をやっていこうとずっと誘ってくれていたんです。それが大きかったですね。だから上田に来たんです」

そして、昨年2月ごろ、ようやく、造形作家として歩むことを決意。小松社長に伝えた。

「その後もLINEでやりとりしたり、小松さんが上京すると会っていたんですが、決意するちょっと前に小松さんに会いました。心中では決めていたのですが、そのときは伝えず家に帰ってもうちょっと考えてからあらためて小松さんに相談したいことがあると伝えました」

相談という理由で呼び出し、決意を伝えた。

「きちんと決めた状態で伝えたかったんです」

村瀬さんは小松社長についてこんな印象を持っている。

「考え方が柔軟で若いなと思ってます。やはり話が合うというのは、すごく大きいと思います。それまで僕の周りにいた小松さんと同年代の人で話が合う方が少なかったんです。そこが違いました」

江ノ島の出会いからまる3年が経過しようとしていた。

 

人生の岐路にあって、慎重になることは必要だ。 

先の単駆郎さんにしても、アニメの背景制作会社にいたが、周囲(筆者もその一人だった)が独立を勧めても、本人が納得がいくプロセスが必要だった。その期間には数年を要した。

そして、会社に独立を伝えたのは、2020年9月。11月末退職。円満退職だった。

「会社の社長や上の方々は僕の活動に以前から理解してくれていましたので、独立おめでとうと言っていただきました。他の同僚の方々には制作活動に関して今まで話したことはなかったので、驚いたと思います」

その翌月には上田市に転居という慌ただしいスケジュールで、晴れて造形作家を名乗る。

「会社の仕事と並行してやっているときは、時間の100%を制作にぶつけられないのが悩みでした。仕事によっては、昼に出社して夜遅く帰って、それから朝まで何かを作るという生活でしたから。これからは成功するにしろ、失敗するにしろ100%で挑んで、どうなるか、というところが楽しみです」

 

創造と製作

 

独立までに多くの作品を生み出している村瀬さん、作品の制作について聞いてみた。

先述の通り、三方を山に囲まれながら両親と水族館に通っているうちに魚に興味を抱いた。そしてメカとの融合は子供の頃からの発想だった。

「以前から機械系が好きで、自動車や電車を見て、これはウナギっぽいな、スズキっぽいなとか、逆に魚を見て、戦車っぽいな、F-1マシンぽいな、というような見方をしていました。意識的にこのような見方になったのは今の制作を始めた5,6年前だと思いますが、幼稚園ごろから魚が好きでそのころから身の回りの機械や人物とかを魚に連想させるみたいなことは、やっていたと思います。今みたいにはっきりしたメカ造形が浮かぶとかでは無く、『この車はナマズっぽい』とか『この人はカサゴっぽい』みたいなの感じです

そして上京した頃、マシーネンクリーガーが再ブームを迎えていた。

「マシーネンクリーガーが再ブームになって、模型雑誌でとりあげられていました。マシーネンの柔らかい造形を見て、それまでの魚とメカとの連想が繋がったという感じです。魚とメカとを混ぜて作れると思いついたんです」

そのアイデアが生まれてから立体造形までは、

「まず、頭の中でメカと人物のイメージを作って、メカはどう扱われるのか、その人物の背景など、どういうシーンにいるか、映像でいうワンカットで考えるんです。ほんとうにストーリーの一場面というという形です。メカものは一つの地続きでつくっているので、ゆくゆくは全てを繋げた一世界を表現したいと思っています」

ひとつのフィギュアのポージングにしても、背景にストーリーがあってのポーズということだろう。

ジオラマ、というよりはビネットに近いイメージかもしれない。

「頭の中でイメージしたあと手描きをしていましたが、最近はiPadで描いています。それから、3DCGソフトで本体のベースのラフモデリングをします」

パソコン上での作業から、実際に立体製作の作業に入る。

「以前は、横山(宏)さんがマシーネンでやっていたように、プラキットとパテだけで作っていたんですけど、自分がデザインしたいものに合ったプラキットのパーツを探すのが大変すぎることに気づいたんです」

会社員時代、3DCGを駆使していたからパソコンでの造形はお手の物。そこから先は、あのデバイスが登場する。

「それなら、イメージ画からパソコン上でモデリングまでやって、それを3Dプリンターで出力した方がいいと思いました」

マシーネンの始まりは、スケールモデルのプラキットのパーツを流用し、造形していたが、横山宏さんの若き日にはなかったITの産物。いまやクリエーターに欠かせない。しかし、最終的には手作業は必要となる。

「曲面など細かい部分はやはりパテで修正して、(出力した)立体を見ながら作業した方がきれいなラインが出たりするので、最後まで(パソコン上で)3DCGだけで作るわけではないです」

3DCGプラス手作業。こうして出来上がったのが、いまや〝増殖中〟の作品の数々、ということになる。

 

十二支 これから先の12年のために

 

そして、小松社長との初めてのコラボ作品が「海の十二支シリーズ」。その第一弾が「海牛(ジュゴン)」である。

このシリーズの発想は小松社長。

「村瀬さんを上田に誘ってから、彼が来たら、二人でできることはなにかな、と四六時中考えていました。当時はまだコロナ禍の前だったし、インバウンドが多かったから、そのなかでも中国の人たちに向けて村瀬さんの作品をアピールしたいと思ったんです。日本らしいもの、なおかつ彼が得意な海生生物を使って、ということをずっと考えていたんです」

そして、閃いたのが「海の十二支」、

「突然、降りて来たというか、十二支のネ、ウシ、トラに海を加えると海に住む全然違う生き物になるって。すぐに村瀬さんに伝えました。〝なんか、すごいアイデア、浮かんじゃった〟って」

今年(2021)は丑だから牛に「海」で「海牛」。寅年なら「鯱」である。

十二支だから、12作品、完結まで12年かかる。

「そう、だから12年間、村瀬さんと一緒に仕事ができると思ったんです。それで、思いついたばかりのジュゴンについて調べたら、日本では鳥羽水族館だけに飼育されていることがわかって、急遽、村瀬さんを誘って鳥羽まで行きました」

まだ、転居前。村瀬さんは東京から、小松社長は上田市から、二人は名古屋で合流して近鉄特急に乗った。

スタートの第1作のために二人で向かった先が、村瀬さんの出身の三重県だったのも因縁めくが、こういう偶然も行動に勢いをつけてくれる。

ふと思うことは、村瀬さんは海から遠い土地に育ちながら、魚など海生生物が好き。一方、コラボする会社はなんと海なし県の長野の上田市。海と縁遠い二者だが

「むしろ海が恋しいよね」と小松社長、

そして村瀬さんは

「そういう思いも作品にぶつけられますよね」

と応じる。

息もぴったりだ。

一方で、村瀬さんは造形作家村瀬材木として、独自に作品を次々と発表している。

2020年(令和2年)12月に移住して、早くも一冬を越し、春を迎えている。

「三重県出身ですが、三重の最北地の出身なので寒さには慣れてます。上田も思ったよりは寒くなかったので辛さは無かっったです。徐々に暖かくなってきて外に出てのんびりと山並みを見られるようになってきて、とても心地よいです。作業で籠ることも多いですが、窓からも山並みが見えるので閉塞感が無くずっと作業していてもストレスフリーですね。朝まで作業してると山並みが明るくなっていくのが綺麗です!」

と、上田市の生活を満喫しながらの創作生活である。

しかし、作業には、「食事の時間も惜しい」ほど、100パーセント、製作に意欲を燃やす村瀬さん。

実は、小松社長はアメリカ、東京、軽井沢のフレンチなどの元コック。一人暮らしの村瀬さんは、プロの料理に度々ご相伴に預かっている。これも上田生活の彩だ。

ちなみに、魚好きの村瀬さんの好きな魚料理は……

「小さい頃は給食に出たりするサバの味噌煮が好きでした。でも、実は刺身が苦手なんです」

と照れ臭そうに言った。

 

2021年初春 ZOOMによるリモートインタビュー